今回は、あなたの未来のために、ぜひ知っておいてほしいことをお伝えします。
まずは、アネが不妊原因が2つ(子宮奇形、多嚢胞性卵巣)もある中、40代でどのように2人の子供を授かったのかが知りたい方も多いと思います。
なのでそこからお話しますね。
2つの不妊原因をどうやって乗り越えたかも、書いています。
アネの経験が、あなたを勇気づけたり、妊活のヒントになればとてもうれしいです。
アネがどのように2人の子供をさずかったか
のんびりしていた過去
38歳で妊活を意識し始めたアネ。
子供なんて40歳でも産めるでしょ、って本気で思ってました。
40歳の妊娠率なんて知る機会もなかったし、ニュースで見る芸能人は40歳でも子供バンバン産んでる(ように見えた)し、両親も超のん気。
父親なんて、39歳で妊活のために会社をやめると伝えたら、「何だオマエ、そんなことで会社をやめるなんて、3人ぐらい子供産むつもりなのかw」って。
悪く言うと無知、よく言うと楽観的なファミリーでした。
38歳から妊活を意識し始め、ゆるくタイミングをとってみたものの、半年しても妊娠しない!
さすがのアネも、あれ?妊娠って簡単にできないの?って気づき始めました。
そして、楽観的ではない夫は、妊活そっちのけで仕事ばかりしている私にイライラをつのらせていました。
ついにその日が…
ついにその日はやってきました。
夫「不妊治療院に行こう。」
アネ(キターッ!!!)
夫「俺は過去に精液検査したことあるけど、問題なかったから。」(オマエに問題あるんじゃね?)
アネ 「……」
なんで精液検査したことあるの?!とツッコミたい気持ちを抑え、しばし黙る私…
夫「もう病院の予約したから。」
勝手に進められたことを腹立たしくは思いながらも、半年妊娠しないことに負い目を感じていた私は、Yesと言わざるをえませんでした。
初めての不妊治療院
連れていかれたのは、家からそう遠くなく、評判のよい不妊治療院。
院長の熱量が松岡修造並みでアツい!
修造院長は「43歳までなら何とかするから!」と自信満々な様子で語っていました。
そして、アツさに圧倒されながらの初診。
サッと渡されたA4の紙を見ると…
・妊活は健康的な食生活が基本
・23時には布団に入り、7時間は寝ること
・1日45分のウォーキング
など、基本的な生活の大切さを説かれました。
不妊治療すればすぐできるよね?とどこかで思っていたけれど、やっぱり生活を整えることが一番だと知ったのは、修造先生のおかげ。
一番衝撃だったのが…グラフとともに示された
37歳で妊娠率がガクッと減ること
当時38歳だった私は、これで一気に覚醒!
不妊治療へのエンジンがかかったのでした。
超有名病院への転院
ここから私の不妊治療は幕を開けます。
当時はフルタイムで、しかも希望の部署に異動が叶って、やる気満々で働く日々。
出張も週1ペース、帰りは終電近いこともしばしば。
修造先生の病院に通い始めましたが、診察は平日の9:30~17:30のみ。
3回通いましたが、仕事をしながらの通院継続はムリと判断し、誰もが知る超有名病院への転院を決意します。
不妊治療女子なら全員知ってるアノ病院。
診察を受けたところ「原因不明不妊」と言われ、モヤモヤしながら治療を開始しました。
相変わらず仕事もゴリゴリこなす私に、夫の怒りオーラが日に日に増すのを感じ、家に帰るのが怖くなっていました。
恐れていたことが
「仕事を辞めてほしい。」ついに、恐れていた言葉が夫の口から発せられ、動揺するアネ。
16年正社員で勤めた会社、しかも今は望んでついた仕事で、最高に楽しい時…今後のキャリアも積み上げたかった。
仕事か妊活か、究極の選択を迫られます。
その時すでに39歳、もう、悩んでいる時間もありません。
「わかった。来週上司に退職意向を伝えるよ。」
大切にている仕事をやめさせようとするなんて、この人とやっていけるのだろうか…離婚という言葉も脳裏をよぎりました。
でも、ここで離婚して新しいパートナーを見つけて妊活…となるとすでにタイムアウト。
妊活に対する熱量の違いの他に、夫に不満はないので、子供がほしいならここで決断するしかない、と腹をくくりました。
やりたい仕事だったとはいえ、ストレスもあったし、何よりハードだったので、仕事をやめたら妊娠できるかも、という期待も胸にありました。
不信感が決定的に
その間も、超有名病院には通っていました。
1回体外受精で移植まで進めたものの着床せず、それ以外は、卵がとれない状況が続いていました。
退職し、ノーストレスな生活を送りつつ体作りを3か月しましたが、それでも妊娠せず。
結果が出ないことに加え、病院の対応の悪さにも不信感を抱きはじめていたので、先輩から紹介された病院でセカンドオピニオンを聞くことに。
セカンドオピニオンで「この検査を受けた方がいい。」と言われ受けたところ、不妊原因が2つも発覚!
その2つとは、多嚢胞性卵巣と子宮奇形でした。
多嚢胞性卵巣はPCOと言われ、今、増えている不妊原因です。
調べまくったところ、糖質がよくないということがわかったため、糖質制限を開始。
これにより、卵子の質が劇的によくなりました。
子宮奇形は、卵管造影の写真を見てビックリ!
普通は逆三角形の形の子宮が、Vの字をしてる!!!
女性の5%ほどが子宮奇形だそうで、奇形と不妊との相関はまだ解明されていないとのこと。
子宮奇形が不妊原因とは言えないと言われましたが、Vの字すぎて、妊娠できる気がしなくなりました…
超有名病院に戻って、これらの不妊原因を説明すると、院長が「あ、ほんとだ。」
「ほんとだ、じゃないんだよ!お金と時間返せ!」と叫びたい気持ちを抑え、転院を即決。
評判のよい病院をリサーチしまくり、新しい体外受精の病院に通院開始。
そこでは、信頼できる先生と高い技術で、卵もとれ、受精卵も着々と育ちました。
まさかの試練
そして、待ちに待った移植。
体調も40年の人生で一番と言っていいほどいいし、結果出せそう、とワクワクして臨みましたが…
まさかの子宮外妊娠。
即、入院→手術と言われ、けなげに育っていた小さな命は、レーザーメスで焼き切られ、黒こげの大豆のような姿になっていました。
その後も体調万全で移植に臨みましたが、いずれもかすりもせず。
気づくと、通算4回の体外受精が失敗に終わっていました。
卵巣をパンパンに腫らしながらの刺激採卵も、気づけはすでに5回目…。
のこされた最後の手段
もう、アレをやるしかない。
清水の舞台から飛び降りるつもりで臨んだのは…子宮の手術でした。
実は、子宮奇形という先天障害があることがセカンドオピニオン時に発覚していました。
でも、それが不妊の直接の原因かはわからないので、まだ手術するには早すぎる、という医師のコメント。
できることはすべてやり尽くし、4回の体外受精に失敗していた私は、最後の望みをかけ、子宮の手術に賭けました。
もちろん手術したら妊娠するかなんてわかりません。
手術なので、失敗することもありえます。
でももう、妊娠するためには、これが唯一残された手段でした。
手術の結果
手術は無事成功。
満を持して移植をしたところ、妊娠検査薬に、今まで一度も見たことのないくっきりとした線が。
しかし、全く気は抜けません。
手術をしても、子宮の奇形は完全には治せないため、胎児が育ちにくかったり、流産、早産のリスクが普通より高いのです。
ただでさえ、40代の流産率は50%。
それがさらに高いという恐怖。
おびえながら過ごす毎日。
あと少しで臨月を迎えようとした時、「プチッ」っとお腹の中で何かが弾けました。
次の瞬間、バシャーン、とバケツをひっくり返したように流れ出る羊水。
ここまでがんばったのに…
絶望を感じながら救急車で病院に運ばれると、「このまま出産します」という看護師さんの言葉。
予定より1か月早かったけれど、元気な男の子が産まれました。
まだまだ試練はつづく
試練は続きます。
子宮奇形のせいで、うまく胎盤がはがれません。
分娩台で、私の子宮に手を突っ込み、べリベリと胎盤を剥がす医師。
胎盤が残ってしまうと、後でそれがはがれた際に大量出血が起こり、最悪子宮を摘出しなければならないとのこと。
「2人目も産みたいので、何とか処置をお願いします…」
5分前に赤ちゃんを産んだばかりの42歳の私に対し、その場にいた10人の医師たちはあきれた顔で「まだ今考えなくても…」とそっけない返事。
「それぐらいの根性と計画性がないと、40代で2人なんて産めないんだよ!絶対産んでやる。」と分娩台で誓いを新たにしていました。
子宮摘出の恐怖を感じながら産後を過ごしましたが、3か月かけて胎盤は無事はがれ、子宮もきれいな状態に。
赤ちゃんの世話をしながら、2人目の妊活に入ります。
まさかの事態
2人目は、1人目を産んで1年経ったら凍結胚盤胞(=受精し、移植できるところまで育った卵)の移植をしようと考えていたアネ。
この時点で、良好な凍結胚盤胞が7つも残っていました。
1人目の時、手術後一発で着床するとは思っていなかったので、たくさん受精卵をためてあったのです。
また運よく2人目もすぐ妊娠して、受精卵がたくさん残ったらどうしよう…なんて心配までしていました。
7つも凍結胚盤胞があるので、流産リスクを減らすため、着床前診断をすることにしました。
着床前診断とは、移植前に受精卵の染色体の数を調べる検査です。
これを事前にすることで、染色体の数の異常による流産を避けることができると期待されています。
40~41歳で採卵した受精卵が正常な割合は、大体20~30%。
7つも良好胚があるから、2つくらいは正常だろうと踏んで検査に出したところ…
すべて異常との結果で、強制廃棄に。
言葉に出せないほどの絶望。
しかもこの検査は高額で、かかった費用は約100万。
100万円かけて絶望の淵に落とされるなんて、想像もしませんでした。
この時すでに43歳。
ただ、まだ不良胚と呼ばれる、妊娠率は下がるけれど移植可能な凍結胚盤胞がいくつかありました。
さらにもう一回刺激採卵もして、胚盤胞を確保。
2人目の移植、そして…
これらの受精卵に望みを託し、2人目の移植に踏み切ります。
1回目も2回目もダメ…最後に残った不良胚に望みを託した3回目の移植で、奇跡的に2人目を妊娠。
43歳でさらに流産率も上がっており、1人目の世話もしながらなので、いつ流産してしまうか…怖くてしかたがありませんでした。
7カ月目で、安静が必要と判断され、急遽入院。
トイレとシャワー以外寝たきり、点滴につながれて腕も針の跡でボロボロになりながら、病院のベッドで過ごすこと60日。
臨月を迎え、予定日を過ぎて4000グラム越えの男の子を産みました。
一つ一つの行動や決断の裏には、かなり葛藤や不安もありましたが、最終的には自分が腹の底から望むものを手に入れられたことに、大きな達成感を感じた瞬間でした。
アネの自己紹介&実績
なんかここまで読んじゃったけど、ところであなた誰?という方もいらっしゃると思いますので、アネの自己紹介&実績も書いておきます。
- 不妊原因が2つ(多嚢胞性卵巣、子宮奇形)ありながら、42歳と44歳で出産
- 原因不明と言われたが、自力で原因を突き止め解決した
- 体質改善し体外受精1回の採卵で凍結受精卵0→5つへ
- Twitterで妊活発信し6か月でフォロワーさん7,500人(一般人の妊活発信ではトップ)
- 妊活に悩む方をサポートし、たくさんの方に感謝の言葉をいただいている
不妊原因が2つあって絶望的な状況から、執念で2人の子供を産みました。
ここでポイントなのが、原因不明と言われてもあきらめず、自分なりに原因を考え、それを突き止めて改善につなげたことで、結果を出せたことです。
今、絶望している人も、どうかあきらめないでほしいと思います。
私の周囲でも、なんとかなるさ、と言って何もしなかった人たちは、授からないまま終わっています。
逆に、何としても子供がほしい、と情熱を持って妊活に取り組んだ人は、ほとんどが最終的に授かれています。
アネが妊活発信をする理由
妊活は残酷です。
その道のりは、ある人にとってはとても険しく、結果が出るまで莫大な時間、労力、精神力、お金を必要とします。
私は遠回りして、たくさんの時間、お金、労力を失いました。
あなたには、遠回りしてほしくない、年齢が妊活に与える重要性を理解して、効果的な方法を早く知り、結果につなげてほしい。
そのために、日々発信をしています。
子供がいる未来を手に入れたいなら、「あきらめないで、行動し続けること」が大切です。
何をしたらいいかわからなくても、できることを調べて考え、できること、リスクの低いことから順番にどんどんこなしてください。
その中で、見えてくることがあると思います。
アラフォーのあなたには、ムダにできる時間は1秒たりともありません。
それでもわからなかったら、いつでも相談に乗ります。
残念ながら、産まれつき子供を作るのが難しい体質の人もいます。
でもそれは、チャレンジしてみないとわからない場合もたくさんあります。
やり抜いてダメなら、少なくとも自尊心を大きく損なうことはないのではないでしょうか。
だって、あなたは全力を尽くしたのですから。
たまたま、体質的に難しかっただけで、あなたとパートナーに何も落ち度はありません。
私は、子宮奇形の手術をする前、もうやれることはすべてやったので、これでダメならあきらめられるし、自信も失わないでいられる、と考えていました。
あきらめても、自尊心を失わないでいられるレベルまでやり抜いたからです。
妊活をやり切った先は神の領域で、結果は運だと思っています。
ただ、どのような結果になっても、自信を失わないでいられるかは、あなた次第です。
子供が産めなかったからと言って、あなたがこれから生きて行くのに、悔いを残したり、自尊心を失ったりはしてほしくないのです。
子供の有無にかかわらず、あなたやパートナーが、悔いなく幸せに生きて行けることが、私の願いです。
公式LINE始めました。妊活情報配信&無料相談しています。